海棲昆虫。

都市伝説から、音楽、文芸。

大学というものへの不安怒り不満

人生って、なんなんだろう。わからない。

 

俺は、なんなんだろうか。

 

こんな事を考えたり、悩んだりしている。というのも、受験を控えている。それが、不安なのだ。

どう不安かというと、俺は本当にこれでいいのか、このまま、進んでいいのか、ということ。そして、大学のランクという目に見える壁だ。

後者の不安は、もう、どうしようもない。なぜなら、現実的に考えて、もう今年は大学のランクを上げる事は出来ないから。そうは言っても、劣等感は残る。無いと言っても、嘘になるだろう。しかし、そんな物は気にしない事が一番なのだろうから、気にしない。俺は俺だ。

問題は前者の不安だ。具体的に言えば、勉大(学問する大学)に進むべきなのか、美大に行くべきなのか、という問題だ。

当初、俺は中レベルの勉大に行こうとしていた。しかし、本当にそれで良いのか、このままで良いのか、という疑問が沸き起こってきた。

まず、勉大で真面目に勉強をしている人がどれだけいるのか、考えてみた。

勉大は、勿論、名のごとく、勉強をするところである。しかし、勉大で勉強した事を生かして、研究者になったり、教師になる人は、どちらかと言えば、少数だろう。

ここで考えておきたい根本的問題としては、学ぶ、つまり、大学で勉強するという事は、研究するという事だろう。その研究は四年、続くわけだ。では、その四年(勿論、今までの積み重ねだが)が、どう結実すれば最良かと言うと、そのまま研究する事だろう、つまり、教授職、または、教職の身になる事だろう。

しかし、大学を四年終了した人の大抵が、そのように、なれないのが事実である。それは、今の就活生の光景を見れば、一目瞭然だろう。

では、その四年間の学びは、どうなってしまうのだろうか。僕は、全く、無意味な物になってしまうのではないかと思う。だから、悩んでいるのだ。

しかし、社会はそれに反して、こう言う。四年間の学びは、就職後の社会生活に生かされる

と。そこで、学んだ事で、学ぶ事に耐性がつき、学ぶ事に積極的になると。

そうかもしれないが、それは、つまり、その四年が、社会生活であったり人間関係を向上させるものではあるが、学んだ事それ自体は役に立たないという事でも、あるだろう。

そう言う風に考えてしまうと、僕は、果たして、そこに行く意味があるのだろうか、と考えてしまうのだ。

もう少し大学について話す。

まず、大学になぜ、入るのか?

それは、みんな、モラトリアムを受けたいから、なのではないだろうか。勿論、何々になりたいと、その学校に入る人は違う。例えば、油絵専攻の人は、モラトリアムを受けたいから学校に行くわけではない。彼らは、絵を描きたいから、学校に行くのだ。

では、みんなは学ぶために大学に行っているだろうか。 単位を取るために大学に行ってはいないだろうか。もし、そうなら、それは、大学に行きたいから、大学に行っているのではないだろう。モラトリアムを受けたいから、大学に行っているのだろう。

モラトリアムを受けたい人や、流れで学校に入った人(高校の俺氏)に特徴的なのが、授業に対する不満だ。勿論、大学四年で、全部の授業が楽しい、なんて事はない。でも、酷いのだと、授業サボる奴もいる。ここまで、来ると、このサボった彼は、相当に、大学がつまらないと言う事が分かる。

では、彼は何に対して、楽しみを見出しているかと言うと、大抵はモラトリアムによって発生した長期休暇で遊ぶか、なんかで、きっと、学外のことである。

ここで、俺は思った。「だったら、学内も面白かったほうがいいじゃん」。この俺の単純さは、良い時は良いんだが、悪い時は悪いので、今後、どうにかして行きたいと思っている。

そうして来ると、本当に自分が行きたいと思った所に行くのが一番なんだろう。だから、俺の場合、もう悩みは解決しているはずなんだが、「世のしがらみ、って奴が、どうも邪魔してんだ。笑ってくれよ、みんな」。

みんな笑うのも、おかしくないのである。というのも、今書いた事から言えば、俺は勉大ではなく、美大に行くべきであって、それだけの話なのであるから。しかし、それが本当に行きたい所、または、やりたい事であるのならである。実を言えば、俺は大学の範疇を超えた、やりたい事がある。だから、それと大学という物の間で悩んでいるのだ。

 

人生ってなんだろうな、また、これに戻る。

この一生は一瞬の灯火に過ぎないのか。 

生きる意味ってなんだよ。

 

あー、むしゃくしゃ、するな。本当。

俺は、競争なんかしたくないんだよ、本当は。

名声、名誉だったり、人の役に立ちたくなんか、一切ないんだよ。

自分の好きなことしてたいんだよ。(あ、言っちゃった)

世をのらりくらりと、生きてぇな。

 

やっぱ、俺は人生についてとか、何にも考えてないんだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しおりコレクション【その5】奇才漫画家 諸星大二郎のしおり

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ずっと欲しかった諸星大二郎さんのしおり。

なんと、家にあった「妖怪ハンター」の文庫本をペラペラめくっていたら、これが出てきた。

灯台下暗しとはこのこと。

 

このしおりは集英社文庫からのものです。

作りとしては、前にアップした星野之宣さんのしおりと同じもの。

 

お気に入りの一枚に追加です。

 

 

【短歌】雑誌とか新聞に掲載された自分の短歌

【掲載雑誌、NHK短歌

 

現実的で非事件的な街の集積的動画と夜を越す

 

死んだ星海の辺りで待っている宇宙だけが身近に感じる

 

暗室で病みたる友が仏像を彫る手の震え午後五時の鐘

 

同じ朝林檎の色が褪せてゆく核のニュースの後の殺人

 

【新聞に掲載された短歌】

 

夜の町見慣れた家の二階から缶ビールを開ける音がする

 

【その他〔啄木コンクール2018に応募して落ちた作品、20首】

 

欠伸する猫を見つめる一刹那宇宙的にも静謐とした

 

いつまでも分子のままでいられない母の話をなんとなく聞く

 

人はなぜ生きるのだろう雨が降り着信がなりそれを忘れる

 

資本主義彼は元来労働者土囊袋を運び続ける

 

鉄塔を一人見上げる夜の岸辺鉄錆の香に歩み止

むかな

 

傷ましき前世を思い出すような帆先のカモメ海を見て鳴く

 

線香の匂いがすれば夜の先に同じ名字の人の葬式

 

殺人を考える日が来るのならガムでも噛んで至るのだろう

 

ベランダで同級生に銃で撃たれるその夢の痛み忘れぬ

 

夢の中昔の友は何度でも俺は一度しか裏切らないのに

 

学校を休んだ午前テーブルに象牙のような急須の持ち手

 

昨日よりビル電柱は積極的で昨日より気持ちが少し楽だと気づく

 

あさがおがオレンジ色をしてたので母に教えて赤も見つける

 

圧倒させるのが好きそうな雲と夕陽は俺を圧倒させる

 

夜を走る列車が黒の窓外に四角い光り連なり映す

 

岩手山望むホテルの窓枠に蜘蛛は即身仏となる秋

 

親友が俺を嫌いでないと知り「斜陽」の母の死に際のよう

 

一歩ずつ何かの棘を抜くように虐げられて一人行軍

 

プレハブの割れたガラスに母親へ臓器移植をしたような俺

 

パリの夜を眺める宇宙缶コーヒー海王星に向かって消えた

 

 

はい、以上。

まだ、未発表作品ありますけど、捨てちゃうか、どこかへ応募してから公開する感じですね。

掲載作品に関しては不満はないんですけど、掲載されなかった作品(その他のヤツね)20首は振り返ってみると、自分ながらも詰めが甘いと感じますね。

まず、一人称の俺が頻出するんですが、これはまごうことなき「工藤吉生」さんの影響ですね。実際、この人の短歌を見て、短歌が物凄く身近に感じたというか、短歌の面白さに気付かされました。

それにしても、その他の短歌20首はひどい。まだマシというか、好きな首もあるけど、6番目18番目はひどい。詰めが甘い。短歌にしても、俳句でも、芸術全般に言えることは、人をハッとさせる必要があるんですよね。特に、短歌、俳句はその必要が大きいと思う。長いストーリーの中では、物事を運んでゆく起承転結というシステムがあるが、短い文章では突発的に「起」を起こしたり、「結」を見せたりして、ハッとさせなくちゃいけない。その為には、あまり説明的になっちゃいけない。隠喩や直訳や異質なもの同士を掛け合わせることで、ハッとさせなくちゃいけない。そういう意味では、6番目18番目は説明的である。読む側からしたら、「ふーん、そうなんだ。」で終わってしまう。もう一つ何か、読者に思わせる突出した物が一首一首には大切なのだ。そう解釈すると、17番目などは、【「斜陽」の母】という言葉が想像を働かせるように思う。 

この20首の題名は、「アンドロジニーの街」。高校生のポエムか、とツッコミが飛んで来そうである。しかし、この時の自分はわりと本気だったのだ。つまりは、イケイケだったか、ファンキーだったか、自信過剰だったか。村上春樹の題名か、ともツッコまれそうだが、それに関しては実は少し意識していた。全く、恥ずかしいような、それでいて別に悪くはないんだけどうざい奴みたいな捨てに捨てきれない題である。

この20首作ってた当時は何にもしていない世捨て人だった俺氏。18歳で。ただ家で短歌を1時間くらいずっーと考えてたり、散歩して短歌作ったりしてた。他人からしたら、へなちょこな歌かもしれないが、時間は結構かけて作った歌。まぁ、時間はいっぱいあったからね。

 

 

 

 

 

しおりコレクション【その4】江戸川乱歩のプレミア本についてたしおり

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郷土玩具シリーズという栞らしい。

郷土玩具シリーズ15(島根県、東京都)。

島根なのか、東京なのかはっきりしないのだが。

古本屋で買った江戸川乱歩のプレミア本(三角館の恐怖)についていたしおり。

デザインがいいので、コンプリートしてみたいが、日本中に散り散りになった栞たちを集めるのは、なかなか難しいだろう。

 

 

しおりコレクション【その3】SF漫画家 星野之宣のしおり

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星野之宣さんの文庫本を買ったらついてきた栞。

自分的には、かなりお気に入りの栞。

この栞なかなか面白いですよね。

かぐや姫に宇宙飛行士という、極と極の組み合わせ。この手のストーリーの漫画だと、諸星大二郎さんなんかが有名ですよね。 

星野之宣さんと、諸星大二郎さんは専門誌なんかでも対談してました。 

二人とも、古代史や神話を題材にした漫画を描いていらっしゃいます。話は諸星さんに飛んじゃいますけど、【暗黒神話】とか面白いですよね。諸星さんの漫画で初めて読んだのが、【暗黒神話】でした。この作品はまず古代史や日本神話の予備知識がないと読み進めるのがまず難しいです。でも、面白いんですよね。そのわからなさが、面白いんですよね。「この本は何か、もの凄いものを知っている」というか、そんな気持ちを起こさせるんですよね。僕の場合は、その気持ちが作者にも移ってしまいました。「この人は何者なんだ」、という。

諸星さんの栞、欲しいですね。

 

 

しおりコレクション【その1】 天才詩人にして画家、山田かまちのしおり

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この絵を描いたのは、山田かまち

この絵の名前は、【プリーズ・ミスター・ポストマン】。

彼は外国人と文通していたらしく、郵便屋さんが来るのを、今か今かと待っていたとか。

山田かまちの詩集を買ったら、この栞が入っていた。すごく、カッコいい栞です。希少だと思います。

そうなんです、彼は詩も書くし、絵も書くし、音楽も奏でた。しかし、彼はその素晴らしい才能を残して、17歳で死んでしまう。

彼は、1日が24時間ではとてもじゃないが足らないと言ったそうだが、まさにその言葉の通り駆け足で階段を昇っていったようだ。

 

この栞を初めて見つけた時に、僕は栞に魅せられたのだ。それ以来、僕は栞を集めている。

そういう意味では、僕にとって初めての栞だ。