海棲昆虫。

都市伝説から、音楽、文芸。

【短歌】雑誌とか新聞に掲載された自分の短歌

【掲載雑誌、NHK短歌

 

現実的で非事件的な街の集積的動画と夜を越す

 

死んだ星海の辺りで待っている宇宙だけが身近に感じる

 

暗室で病みたる友が仏像を彫る手の震え午後五時の鐘

 

同じ朝林檎の色が褪せてゆく核のニュースの後の殺人

 

【新聞に掲載された短歌】

 

夜の町見慣れた家の二階から缶ビールを開ける音がする

 

【その他〔啄木コンクール2018に応募して落ちた作品、20首】

 

欠伸する猫を見つめる一刹那宇宙的にも静謐とした

 

いつまでも分子のままでいられない母の話をなんとなく聞く

 

人はなぜ生きるのだろう雨が降り着信がなりそれを忘れる

 

資本主義彼は元来労働者土囊袋を運び続ける

 

鉄塔を一人見上げる夜の岸辺鉄錆の香に歩み止

むかな

 

傷ましき前世を思い出すような帆先のカモメ海を見て鳴く

 

線香の匂いがすれば夜の先に同じ名字の人の葬式

 

殺人を考える日が来るのならガムでも噛んで至るのだろう

 

ベランダで同級生に銃で撃たれるその夢の痛み忘れぬ

 

夢の中昔の友は何度でも俺は一度しか裏切らないのに

 

学校を休んだ午前テーブルに象牙のような急須の持ち手

 

昨日よりビル電柱は積極的で昨日より気持ちが少し楽だと気づく

 

あさがおがオレンジ色をしてたので母に教えて赤も見つける

 

圧倒させるのが好きそうな雲と夕陽は俺を圧倒させる

 

夜を走る列車が黒の窓外に四角い光り連なり映す

 

岩手山望むホテルの窓枠に蜘蛛は即身仏となる秋

 

親友が俺を嫌いでないと知り「斜陽」の母の死に際のよう

 

一歩ずつ何かの棘を抜くように虐げられて一人行軍

 

プレハブの割れたガラスに母親へ臓器移植をしたような俺

 

パリの夜を眺める宇宙缶コーヒー海王星に向かって消えた

 

 

はい、以上。

まだ、未発表作品ありますけど、捨てちゃうか、どこかへ応募してから公開する感じですね。

掲載作品に関しては不満はないんですけど、掲載されなかった作品(その他のヤツね)20首は振り返ってみると、自分ながらも詰めが甘いと感じますね。

まず、一人称の俺が頻出するんですが、これはまごうことなき「工藤吉生」さんの影響ですね。実際、この人の短歌を見て、短歌が物凄く身近に感じたというか、短歌の面白さに気付かされました。

それにしても、その他の短歌20首はひどい。まだマシというか、好きな首もあるけど、6番目18番目はひどい。詰めが甘い。短歌にしても、俳句でも、芸術全般に言えることは、人をハッとさせる必要があるんですよね。特に、短歌、俳句はその必要が大きいと思う。長いストーリーの中では、物事を運んでゆく起承転結というシステムがあるが、短い文章では突発的に「起」を起こしたり、「結」を見せたりして、ハッとさせなくちゃいけない。その為には、あまり説明的になっちゃいけない。隠喩や直訳や異質なもの同士を掛け合わせることで、ハッとさせなくちゃいけない。そういう意味では、6番目18番目は説明的である。読む側からしたら、「ふーん、そうなんだ。」で終わってしまう。もう一つ何か、読者に思わせる突出した物が一首一首には大切なのだ。そう解釈すると、17番目などは、【「斜陽」の母】という言葉が想像を働かせるように思う。 

この20首の題名は、「アンドロジニーの街」。高校生のポエムか、とツッコミが飛んで来そうである。しかし、この時の自分はわりと本気だったのだ。つまりは、イケイケだったか、ファンキーだったか、自信過剰だったか。村上春樹の題名か、ともツッコまれそうだが、それに関しては実は少し意識していた。全く、恥ずかしいような、それでいて別に悪くはないんだけどうざい奴みたいな捨てに捨てきれない題である。

この20首作ってた当時は何にもしていない世捨て人だった俺氏。18歳で。ただ家で短歌を1時間くらいずっーと考えてたり、散歩して短歌作ったりしてた。他人からしたら、へなちょこな歌かもしれないが、時間は結構かけて作った歌。まぁ、時間はいっぱいあったからね。